(出典「イラストAC」)
敬老の日は9月の第3月曜日となっていますが、
当初は9月15日が敬老の日でした。
敬老の日が9月15日になったのは、
かなり古い時代の話がその由来となっています。
ここでは敬老の日の由来となったお話をご紹介します。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
敬老の日はいつ?その日付の由来とされる、聖徳太子と養老の滝の話
9月15日が元々の敬老の日でしたが、
敬老の日が9月15日になった由来は諸説あります。
その説を2つこちらでご紹介します。
聖徳太子が悲田院を作ったとされる日、という説
(出典「イラストAC」)
9月15日は、聖徳太子が大阪の四天王寺に、
「悲田院(ひでんいん)」という施設を作った日と言われています。
この悲田院というのは、現在でいえば老人ホームのような施設で、
身寄りのないお年寄りをはじめ、
貧しい人や病人、孤児を救済するために作られた施設だったと伝えられています。
この悲田院は593年に作られた説もありますが、実は他の説もあり、
723年に興福寺に作られたのが最初だとする説もあります。
(そうすると聖徳太子は関係ないことにはなるのですが。)
また悲田院の「悲」という文字には、
悲しいという意味の他にも、仏教では情け深いことや恵みを意味する言葉で、
「悲田」という言葉には、
慈悲の心で貧しい人や困窮した人、病人に施しを与えることが、
福を生み出す田となる、という意味があると言われています。
「情けは人のためならず」ということわざがありますが、
これは情けは人のためではない=自分のためだという意味なのはご存知だと思いますが、
そうした面は確かにあるように思えます。
元正天皇と養老の滝にまつわる故事
(出典「photoAC」)
養老乃瀧という居酒屋がありますが、
「養老の滝」の話はお酒にまつわる話になります。
その昔、美濃(みの)の国(現在の岐阜県あたり)に、
源丞内(げんじょうない)という若者がいました。
この若者には年老いたお父さんがいて、
そのお父さんは目が不自由でしたが、お酒を飲むことを楽しみにしていました。
ただ源丞内は貧しく、山でまきを拾ってはそれを売りお米などを買う生活をしていましたが、
そんなある日、山の中で転んで気を失ってしまいました。
目を覚ますと香りの良いお酒が湧きだす泉を見つけ、
それを持ち帰ってお父さんに飲ませ続けているうちに、
お父さんは徐々に元気になり、目も見えるようになり、
それが人づてに伝わり、時の天皇・元正天皇(女帝)の耳に届くことになります。
元正天皇は、この地を訪れて源丞内に美濃の国を任せる役職を与え、
良いことのある前兆だとされ、717年に元号を「養老」と改めました。
これが養老の滝の話になりますが、この故事に基づいて、
全国的に9月中旬ごろに、お年寄りを招待する敬老会が開かれるようになり、
そのことから9月15日を敬老の日に定めた、という説もあります。
敬老の日の由来 近年の日付の変遷
ちなみに敬老の日が祝日になったのは、昭和41年(1966年)のことで、
これまでも書いてきましたが、当初は9月15日が敬老の日とされていました。
その後、ハッピーマンデーという制度で、
祝日を月曜日に移して、土日と合わせて3連休にする制度が導入され、
敬老の日も9月15日から9月の第3月曜日に移行されることになりました。
また当初は「としよりの日」とされていた日でもあり、
「としよりの日」→「老人の日」→「敬老の日」
とその呼び方が変わってきた経緯がありましたが、
9月15日は現在でも「老人の日」と法律で定められています。
終わりに
敬老の日が定められたのは最近のことになりますが、
その由来となる出来事や逸話は、
いずれにしてもかなり古い時代のことが元になっています。
また敬老の日では、お孫さんから、
おじいちゃん・おばあちゃんへの贈り物がメインになるかと思いますが、
この日をきっかけにおじいちゃん・おばあちゃんに顔を見せに行く、
というだけでも喜ばれることだと思います。
そうして敬老の日が、世代をまたいだキズナを深めるキッカケになるのなら、
敬老の日には充分に意味があるな~、と思いながら、
今回の終わりとさせていただきます。