端午の節句には、ちまきや柏餅を食べますが、
ちまきの由来となった屈原(くつげん)という人物は、
最近話題のキングダムで描かれている、
秦の始皇帝の、少し前の時代の人物になります。
そこでここでは、ちまきや柏餅の由来と共に、
ちまきの由来となった屈原の物語に、触れてみたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
ちまきの由来となった屈原という人物の物語
端午の節句には、ちまきを食べます。
そのちまきは、中国の古い故事が由来となっています。
その由来となった人物は、名を屈原(くつげん)と言い、
最近話題のキングダムでは、秦の始皇帝の時代が描かれていますが、
屈原が生きた時代は、それより少し前の時代になります。
時は中国の戦国時代、
秦では始皇帝の3代前の昭襄王(しょうじょうおう。昭王とも言われます。)の時代に、
楚という国の王、懐(かい)王に仕えた人物です。
屈原は懐王の信頼も厚い人物だったのですが、
周囲の重臣の中には、屈原を快く思わない者もいました。
ある時、そうした重臣が楚の懐王に対して、
屈原の讒言(ざんげん:ありもしない悪口を目上の人に対して言うこと)を吹き込み、
それを信じた楚王に遠ざけられることになってしまいます。
その後も屈原の的確な進言や、王を諫(いさ)める言葉は、
懐王には聞き入れられず、
他の家臣の言葉を受け入れた懐王は、秦のワナにはまることになり、
秦の地で病死することになります。
その次の王、頃襄(けいじょう)王の時代にも、
周囲の家臣は屈原に対する誹謗中傷を頃襄王に吹き込み、
ついに屈原は追放されてしまいます。
国を想い、誠意を尽くしたのに王に遠ざけられ、
忠義を尽くしたのに身に覚えのない罪をなすりつけられた。
屈原は、どれほどの無念を抱いていたことでしょう。
その後、屈原は石を懐に入れたまま、
汨羅(べきら)という川に身を投じたと史記に伝えられています。
また詩人でもあった屈原は、
その無念の想いを「離騒(りそう)」という詩に込めましたが、
その詩は、中国古典文学の傑作と言われています。
ちまきの由来 屈原の死後、ちまきが生まれるまで
そんな屈原の命日は、5月5日と言われています。
屈原の死を嘆き悲しんだ人たちが、
屈原を供養するために米を詰めた竹筒を川へ投げ込んでいましたが、
川に住む龍に食べられてしまうので、
龍が苦手な葉で包み、五色の糸で縛るようになったと伝えられています。
これが現代まで続く「ちまき」のはじまりとされていて、
屈原のその人間性からか「ちまき」は忠誠心の象徴と考えられるようになり、
中国では5月5日の節句の日に、
ちまきを作り親せきに配る習慣が生まれ、
それが中国から日本に伝えられ、現在に至っています。
柏餅の由来
ちまきが中国由来のものに対して、柏餅は日本由来のもので、
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、
「家系が途絶えない」「子孫繁栄」と結びつけられ、
縁起物とされるようになり、
江戸時代から端午の節句に、供えられるようになったと伝えられています。
こちらは歴史上の人物が関係していないため、歴史上の人物を語れないのですが、
(語りたかったところですが)
縁起物を食べることで、子供の成長を祝おうとした気持ちが、
当時の人たちにはあったのでしょう。
終わりに
屈原の物語は哀しみに包まれていますが、
彼に由来した「ちまき」という食べ物が、
忠誠心の象徴と考えられていたことは、一筋の光明のようにも感じます。
またその風習が現在まで続いていて、
そのために5月5日になると、屈原の名に再びスポットライトが当たる。
そのことに、どこか無性(むしょう)に嬉しい気持ちが湧き上がってきます。
コメント
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